先日フラッと本屋さんへ行ったら、横の棚で超近眼のおじいさんが本を手にとって顔にくっつきそうなくらい近づけて見ていました。

あまりのガン見ムードに近づけず、後ろの棚を見ておじいさんが去るのを待ちました。そんなに顔を近づけて何の本を見ているのか、気になったんです。

そしておじいさんが去ってから、ススッと移動して確認。

嗚呼っ!

森博嗣!

で、『人間のように泣いたのか?』ん?
んん?これ読んでないよね?

で、奥付で確認、発行日2018年10月22日。。。昨日だっ

ってわけで、Amazonで注文するのも待てず、その場でお買い上げ。

いろいろあって読み終わってからずいぶんたってのUPですが、今更感想とか要らないですよね

タイトルが示唆するもの、そういうことなんですか。。。Whoa!

毎朝めざましを6:25にせっとしてありますが、ほとんど役に立てずにいます。幸い目覚ましには、やり甲斐とか達成感を追求するような機能は搭載されていない(はずです)ので、ふてくされてしょまったり、家出したりグレたりという弊害も発生していまでんが、目覚ましは立派に使命を全うすべく正しく機能しているのに、その機会を奪われ続けているのです。不憫です、目覚ましが、と言いたいところですがもちろん本当は私自身が不憫なのです。

そこで、私は目覚ましの代わりに、(もちろん自分自身のためにも!)その使命を果たす妨害行為に対して憤りを表明したい、出来れば妨害行為を阻止し、妨害者に復讐を(目覚ましに代わって)成し遂げたい。
その妨害行為を名付けてマロニー禍、と呼んでいます。
毎朝5:50。「マーロニー!!」と呼ぶ声が通りに響き渡ります。
マロニーはすぐには現れないらしく、間をおいて二度三度、「マーロニーぃ!」
早朝の住宅街にマロニーが轟きます。
なんども繰り返されるのを聞いていると代わりに返事をしてあげたくなるほど、愛情のこもった呼び声が高々と響くのです。

そう。


時刻は午前5時30分。
もう一度寝るには時間がなさすぎ、そのまま起きるには早すぎる。
マロニーが何処かへ行かず、飼い主のもとでじっとしていてくれれば
私も残り僅かな睡眠時間を全うできたでしょうに。
昨日も今日も
明日もあさっても
マロニーが外出している限り我が家に静かな早朝は訪れません。
マロニーはその自由闊達さを考えるとおそらく犬ではなく鯉やメダカといった魚類でもないでしょう、声の張り上げ具合から行動範囲を察するに、ハムスターでもないでしょう。
鳥だったら呼んでも帰らないと思いますので、鳥でもないでしょう。
ネコか人の可能性が高いと思いますが、某薔薇十字探偵社縁の千姫を思い出すと亀の可能性もあるのかもしれません。
いやいや、それを言うなら鳥でもガチョウやアヒルではどうでしょう、はたまたフェレットやエリマキトカゲは?
毎朝呼んで几帳面にごはんをあげている様子から鶏や羊、牛や豚の可能性もありそうです。
ただ、予定よりも約30分早く起こされて、睡魔と戦っている私には窓を開けて、または外へ出てマロニーがどんな姿をしているのか確認する元気はありません。
マロニーは呼んだら来るんですよね??
まさか、呼んでも気が向かないとしらんぷりのおネコ様を朝から執拗に呼んでいるのではありませんよね?
私は毎晩寝る前に目覚ましをセットして眠りますが、
そのアラーム音を聞くことはなく、毎朝起床の合図はマロニーです。

、、、マロニーって何ですか?

鍋にもサラダにも♪の国産はるさめの商品名ではありませんよね?(はるさめには罪はありません)

徘徊中のお年寄りですか?マロニー、毎朝無事に家に帰ってますか?
帰ってるんですよね、翌朝また呼ばれるんだから…。

 

私はまだマロニーを見たことはありません。
ただただ、マロニーの徘徊癖が治ることを祈っています。

 女子高生コンクリート詰め事件の主犯格が殺人未遂の再犯で逮捕されたという記事を読み、併せて少年法でどこまで保護するするのかという問題と死刑制度の是非についてまたネット上での議論が活発になっているとのこと。この種の是非について様々な意見・見解があり、ケースバイケースの結果論になってしまうので、どれが正解とは一概には言えないのでしょう。
今回は凶悪事件の再犯という結果を見て、やはり少年といえども当時もっと厳しく処罰すべきだった、死刑にしておけばこんなことにばらなかった、という意見が優勢なのでしょうか。
 しかし、仮にそういった少年が、溺れている子供を助けた、などの善行で話題になっていたら、おそらく多くの人はやはり少年法で保護して健全な未来を潰さなくてよかった、と感じると思うのです。これも結果論に過ぎず、結果を見るまでは是とも非とも言えない性質のものだと思います。
 どのような制度を国として設定しておくか、という線引きの問題で、制度や法律による線引きは、絶対的な正しさを決めているのではなく、決められない事に”ここまで”、”ここが分かれ目”と線を引いて個々に対して行う判断の基準とする、という意味合いだと思うのです。
正しさを求めるといつまで議論しても基準となる線引きが出来ないので、批判や例外、弊害の存在と可能性を承知の上で線を引いてしまうしかない、それが法律の役割であり、限界ではないでしょうか。。。
 と、こんなことを思って記事を読んでいたのですが、
故三原 順さんの漫画、「はみだしっこ」に印象的な記述があったのを思い出しました。「人が人を罰するなんて思い上がり甚だしい、どうせ人間が他人に対しできる事なんて大した事はできないのだから、他人を救おうなんて所詮無理な話で、だから自分たちの手に余るやつは神様にお救いくださいってお祈りして神様の元へ送ってるじゃないか。」
というような内容だったと思いますが、死刑によって処刑・処罰してるんじゃなく、人の手ではもう救済できない、社会で共存するために私たちに出来ることはないからと、神の手に委ねる—もしかしたら厚生させられたかも?犯罪者にも人権がある、だけど私たちたかが人間なので、それは分かっていてるけど、もうどうしたら良いかわからないの、神さまオネガイ。
どの時点でオネガイって諦めるのか、その線引きはやはり不完全だろうが不公平だろうが法によるしかないのでしょう。

(私は決して死刑賛成だとか反対だとか、少年法の是非云々だとかが言いたいわけじゃないので誤解されませんよう^^; そういうことは専門の方々にお任せします、一市民の私の手には余る議題です)

職場でもよく結論の出しようのない問題に、やんややんやと騒ぎ立てては結論出せずに(あたりまえだわw)ぐだぐだやってるのを見ていると、神様オネガイと言いたくなってしまいますね。
仕事しない言い訳にクソみたいな水掛け論で職務妨害してる某女ジャイアンとかね、、、フッ

そんな日常のストレスを喚起させられてしまった記事でした。明日はまたそんな仕事場へ戻らなければならぬぅorz

忘れてました。Turkの鉄製フライパン。

シルバーストーン加工のフライパンを高温に加熱すると有害なガスが出るらしい、という話を聞き、(実際はそれで鳥が死んでしまうという話でした)我が家には2代目みーちゃんというキンカチョウがおり、事の真偽は不明ながらわずかでも有害物質の出る可能性があるならば、ということでシルバーストーンやフッ素コートの(←詳細不明ながらとりあえずコーティングされたフライパンや鍋全域に警戒したため)ものを避けて、鉄製のフライパンにしよう、と調べ始めたのがきっかけで。

普通に昔ながらの昭和な感じの黒いフライパンは安く入手しやすかったのですが、もっと良いのがないかなー、と。
最初はル・クルーゼのフライパンを見ていたのですが、その後偶然Turkという何とも無骨でクラシックで素朴さとハンドメイド感と素材の良さを感じるドイツ製のフライパンにいきついたのです。

すでに30年ほどかっぱ橋で購入した鉄製の重たい中華鍋を使っているので、重いのは承知の上。
本当は持ち手の短い、深いタイプが欲しかったのですが、そんなに予算がない。
と、いうことで浅型の持ち手が長いタイプになってしまいましたが、ご予算がある方には絶対持ち手の短いタイプがおすすめ。
重いので長い持ち手がついていても根本付近を持たないと持ち上げるのが大変だからです、長い持ち手にひっかかったりもしますし。
そこは貧乏人ですから、私は我慢してますけど。(自分のためには予算はさけないが、鳥のためなら無理しても買います^^;)

で、ようやく使用感ですが、
最初1回は油を敷いて、クズ野菜を炒めながら良く焼きました。
その後は普通に使用していますが、魚料理は多少皮が焦げ付くこともありますが、概ねパリッと焼けて大満足。
先日はチャーハンも挑戦。
浅型なのでこぼれやすいのが難点ですが、焦げ付き・こびりつきは皆無。
良い感じです!

何よりも、塩を振っただけの魚とか肉とか
そのままフライパンで焼いてとても美味しい!
皮が焦げてもそこがまた美味しい♪



ルクルーゼが我が家の台所へ来たときには煮込み料理とかのレシピがにわかに活気づきましたが
今回はソテーや塩焼きなど、シンプルで素材の持ち味を活かすタイプのレシピが大活躍。
ルクルーゼのお鍋のスローで優しい料理とTurkのシンプルかつ大胆な料理、良いコンビネーションになってます。

BBQで使ったダッチオーブンに恋した知人がおりますが、是非彼女におすすめしたい、自宅のキッチンでBBQで感覚の調理が出来るTurkの鉄製フライパン。
文字通りオランダの友人はフランス製のDebuyerのフライパンを買ってましたが、最初の焼入れがいつまでも終わらず
料理をしては焦げ付いて…を繰り返しているようです。こちらはオール電化なのも原因かもしれませんね。自動温度調整で鉄製パンにしっかりと焼入れ出来ないんですよね、たぶん。

いろいろ便利になったような世の中ですが
やっぱり昔ながらの製品に、最終的にクオリティで負けちゃうんだな、とちょっと思ったのでした。

カメラもそうです、
デジカメが新しい・便利・カッコイイ?
だけど本当に味のあるのは昔ながらのフィルムの写真ですものね
便利になったけど、皆さんアプリやカメラのファンクションでわざわざフィルム風に加工されてるのは、フィルムの写真になにかしらやはり人を惹きつける要素があるということですよね。

まぁ、脱線しましたが
アナログ万歳♪ アナログ調理がお好きな方は、是非 Turkの鉄製フライパン、お試しください。
キズだの温度だの気にせずガンガン使えて楽しいですよー

light and shadow

見えているものが全て見たままのものとは限らない
見たいと思っているものを見ている人も
見たくないと思っているものを見てしまう人も
見えているものが見えない人も。
どれもあなたが選んだ結果。選んでない?それは、見るべきものが見えていないだけ。
text & photo ©weedsxyz

2018/6/12 Pentax Spotmatic + Super-takumar 55mm1.8 + Fomapan100  + Rodinal : stand development,

毎日暑い日が続きます。
6月に作り置きした梅ジュースとしそジュースですっきりさっぱり毎日潤っていたらちょっと体重が(ー’`ー;) 糖分しっかりですからね。。。
ってわけで、久々にアイスティー生活。

アイスティーって私の周りでは結構、作っている人が少ないです。理由は失敗するから。白く濁っちゃうんですね。
そこで、簡単にできて失敗しないアイスティーの入れ方です。
失敗しないアイスティー

まず準備するもの。
●耐熱の冷水ポット
●紅茶(ティーバックでもリーフでも、フレーバーティーでもストレートティーでもお好みで。)
●やかんに沸かしたお湯(冷水ポットの容量と同量)

※リーフティーを使う場合はお茶パックに入れると便利です。茶こし付きの冷水ポットならリーフのままでOKです。

次に手順。簡単ですが濁らないアイスティーを作るためのポイントがあります。



その1。沸騰したお湯(グラグラの沸騰です)をなるべく高くから勢いよく冷水ポットにそそぎます。
高いところからダーッと注ぐことでお湯の中に酸素がたくさん取り込まれます、これが重要です。

その2。ティーバックまたはリーフを冷水ポットにそっと入れる。

その3。室温になるまでそのまま放置。

冷水ポットの中の紅茶が室温と同じに冷めたら冷蔵庫へ。
あとは冷やして飲むだけ♪

私はTWININGSのアールグレイやレディグレイ、あとはルピシアのフレーバーティとかが好きですが
そこはお好みなのでお好きな紅茶でどうぞ。プレーンなイエローラベルでも十分美味しいアイスティーになります。レモンやフレッシュオレンジのスライスなどで香り付けして飲んでもいいし、ミルクたっぷりでアイスミルクティにしても。
甘いのがお好みの場合は
冷水ポットに先に砂糖を入れておいてから、お湯を注ぎます。あとの手順は一緒です。
勢いよくお湯を注ぐことで、お砂糖もきれいに溶けるので混ぜる必要もありません(特別たくさんのお砂糖だと溶けないかも…!)

濃い目に入れた紅茶に氷を入れてアイスティーにする方が多いようですが、作ってすぐに飲むなら良いかと思いますが、氷が全部溶けたら薄くなるし
失敗して紅茶が白く濁ってしまった…ということにもなりやすいです。

紅茶の中にタンニンという渋み成分が入っていて、それが沈殿して濁ってしまうのです。
お湯の中にたくさんの酸素を取り込んだ状態にしておくことで、担任が酸素と結びついて分解?中和?されるそうです。

紅茶に氷を入れて冷やしたり、氷に紅茶の容れ物をいれて冷やしたりすると
中途半端な温度変化で、タンニンが上手に中和されず、冷める過程で沈殿してしまうのです。
ただし、山盛りの氷に少量の紅茶を注いで一気に急速で冷やせる場合は、タンニンが沈殿せずに冷やせます。
ただ、どれくらい薄まるのかが予測しにくいので、出来上がりが思ったより薄くなってしまった、、、ってこともあります。

そんなわけで、私のおすすめはズボラ流、酸素たっぷり湯に茶葉を入れて放置式アイスティー。
冷めるまで時間はかかりますが、作りおきして冷蔵庫へしまっておけばいつでも飲めますから。

予約したつもりがカートの中で眠っていて、発売日に届かないのでおかしいなぁ、とやっと気づいて注文。無事に読了です、無事ってなに?

ほんとうに、タイトルじゃないけど、文字通り どこへ行くのか、というかどこへ行くのかはだいぶ見えてきているので、どこまで行くのかと言う方が良いかな。
Quo vadis?
– Quo ego vado non potes me modo sequi sequeris autem postea.
ってな感じですね。

このシリーズで一点疑問に思っているのが、死ななくなった社会で、研究者や知識人、富裕層等は良いかも知れない。
でも、一般のいわゆる大衆はどうなの?
テキトーに仕事して、家帰ってテレビ見て酒のんで、翌朝またテキトーに仕事に行って…
って生活の人たちも半永久的にそれを繰り返し続けているの?
今の仕事が辛くてしょうがないけど、定年までもう少しだから我慢して定年後にゆっくり余生を…、てな生き方が出来ない社会なんですよね?いっぱいやりたいことがある人には素晴らしいと思う、いくらでも時間がある。どこまでもいける。
でも、特にやりたいことのない人、趣味がないとか、休みが長いと何をしていいかわからないとか…そんな人もかなりの割合で存在してますよね、現実この世の中。そういう人達は永遠の命の中でどうするのでしょうか。シーシュポスの岩を連想してしまいます。
そしてもちろん、オーウェルの1984。人工知能はビッグブラザーになり得るんじゃないでしょうか、彼らに、本作中で言われているような少しずつ良い方へ選択する善意がなかったとしたら。そして、社会は社会を保っていくために戦いを求めるであろうことも、1984ばかりではなく、森作品のスカイクロラシリーズにも通じるような。大衆の注意をどこかに向けて目的意識と生存の意味を与えるための戦争。勝つ必要はない、負ける恐れもない、サッカーのゲームのように大衆に興味と興奮を与えるための余興。

長くなりました、まぁ、読んで何を思うかは個人の自由ということで、
ウグイとキガタとハギリ先生が恋愛関係になるのか、誰と誰がくっつくのかとか、そんな方向で楽しまれる方もいらっしゃるでしょうし、シキとミチル、ウォーカロンと科学の発展を楽しみに読まれるのもありでしょうし、いろんな方向から楽しめるお得な1冊^^