なんだか最近よく目にするような気がして(どこで目にしたのか記憶に残ってないんですけど)、気になっていたので読んでみました、とりあえず短編集の『A』中村文則。
全く初めての作家さんの場合、とりあえず短編集の方がとっつきやすいかと思って^^
ココ最近あまり読書にさく時間が取れないこともあり、長編で時間をかけて読み進んでから失敗だったーってことは避けたかったので、短編だったら1話読んでダメそうだったらやめれば良いし。実際は作者さんによっては短編と長編では全然感じが違ったりするので、短編読んでOKと思っても長編はイマイチだったとか、その逆もあるであろうことは承知ですが。
かの村上春樹なんかも長短の差か、それとも執筆年代の差か…
昔の短編は良い感じだったのに長い作品だと尻切れトンボ的な印象がぬぐいきれません(こんなこと書くと信者の方に刺されますか?^^;)最近の短編があるのかは知らないのですが、地下鉄サリン事件の被害者に取材してまとめたアンダーグラウンドでしたっけ、あれも淡々とまとめられていてなるべく作家の意見を介入しないでレポートしようという意図はわかりましたが、読者としてそれだけでは物足りない。大江健三郎のヒロシマ・ノートみたいなものを期待していたんですが。
記録としては秀逸で、おそらく作家 村上春樹の名前がなかったらこれだけの数の証言を得られなかっただろうと思うので、価値ある作品だと思います。
ただ、この作品の残念なところは、そこに作家の意見なりテーマなりが感じられない。良くも悪くも記録に終止してしまっているような印象を受けました。
ヒロシマ・ノート、読んだのはかなり昔ですが、細かなところは忘れても、読んだあとに考えさせられるものでした。私に何が出来るのか、何も出来ないのか、いや、日本は、社会は今こんなで良いのか?たくさんの答えの出せない複雑な問いを投げかけられた作品でした。時代の中で風化させずに読み継がれて伝えていって欲しい、ともかく、やはり忘れてはいけないことだと思った記憶があります。
ほかのフィクションの大江作品は実はあまり好きではないですけど(-。-) ボソッ
あ、違った感想になってる^^;
で、本作『A』の短編の1つで、ダリと川端康成、安部公房が言及されているわけなんですが、確かに似た感じのにおいはしますが、当然これは中村作品であって川端・安部とはやはり一線を画しているわけです。あくまでもストーリーの一部として言及されてますが、私としては言わないで欲しかったなぁ・・・。
全然感想にはなりませんが、こういう感じの作品なのね、って知ることが出来たのでOKです。
もしかしたらまた他の作品を読むことがあるかも知れません。
読むとしたら次は長編を読むつもりですが、積極的に買いに走って読む予定ではないです。
そんな感じの位置づけで—–。安部公房の時はもっと他の作品も読みたいとあれこれ買いまわってしばらくは安部公房づくしでしたけど。