こんな京極本見たことないよ!
これが第一印象でした。配達されてきた時の梱包を手にした時は、これは自分が注文した本じゃないんじゃないかって宛名を確認しちゃいました。



だって、
極ウスなんですもの…

はぁ?って感じです、
重量感がないというだけでこんなにがっかりさせられるものなんですね。
私が買ったのは、シェークスピアじゃないんです、小林秀雄でもないんです、今月の新刊カタログを取り寄せたわけじゃないの!

自立する本とか漬物石の代わりになるとかかつて有名を馳せた京極本なんです。

読んでないから内容に関しては何も言えません、
でも、この薄さで3冊出すならせめて1冊にまとめて欲しかった…。

メール便不可!くらいの厚さにはして欲しかった。
厚くない京極本なんて、カフェインの入っていないコーヒーのよう…ふぅ

ちなみに表紙も、もう少し趣ある感じになってたら良かったのにね。

これじゃ三流のホラー談話集みたいだわ(暴言ですか?失礼。ただの無責任な主観です。)

先日フラッと本屋さんへ行ったら、横の棚で超近眼のおじいさんが本を手にとって顔にくっつきそうなくらい近づけて見ていました。

あまりのガン見ムードに近づけず、後ろの棚を見ておじいさんが去るのを待ちました。そんなに顔を近づけて何の本を見ているのか、気になったんです。

そしておじいさんが去ってから、ススッと移動して確認。

嗚呼っ!

森博嗣!

で、『人間のように泣いたのか?』ん?
んん?これ読んでないよね?

で、奥付で確認、発行日2018年10月22日。。。昨日だっ

ってわけで、Amazonで注文するのも待てず、その場でお買い上げ。

いろいろあって読み終わってからずいぶんたってのUPですが、今更感想とか要らないですよね

タイトルが示唆するもの、そういうことなんですか。。。Whoa!

予約したつもりがカートの中で眠っていて、発売日に届かないのでおかしいなぁ、とやっと気づいて注文。無事に読了です、無事ってなに?

ほんとうに、タイトルじゃないけど、文字通り どこへ行くのか、というかどこへ行くのかはだいぶ見えてきているので、どこまで行くのかと言う方が良いかな。
Quo vadis?
– Quo ego vado non potes me modo sequi sequeris autem postea.
ってな感じですね。

このシリーズで一点疑問に思っているのが、死ななくなった社会で、研究者や知識人、富裕層等は良いかも知れない。
でも、一般のいわゆる大衆はどうなの?
テキトーに仕事して、家帰ってテレビ見て酒のんで、翌朝またテキトーに仕事に行って…
って生活の人たちも半永久的にそれを繰り返し続けているの?
今の仕事が辛くてしょうがないけど、定年までもう少しだから我慢して定年後にゆっくり余生を…、てな生き方が出来ない社会なんですよね?いっぱいやりたいことがある人には素晴らしいと思う、いくらでも時間がある。どこまでもいける。
でも、特にやりたいことのない人、趣味がないとか、休みが長いと何をしていいかわからないとか…そんな人もかなりの割合で存在してますよね、現実この世の中。そういう人達は永遠の命の中でどうするのでしょうか。シーシュポスの岩を連想してしまいます。
そしてもちろん、オーウェルの1984。人工知能はビッグブラザーになり得るんじゃないでしょうか、彼らに、本作中で言われているような少しずつ良い方へ選択する善意がなかったとしたら。そして、社会は社会を保っていくために戦いを求めるであろうことも、1984ばかりではなく、森作品のスカイクロラシリーズにも通じるような。大衆の注意をどこかに向けて目的意識と生存の意味を与えるための戦争。勝つ必要はない、負ける恐れもない、サッカーのゲームのように大衆に興味と興奮を与えるための余興。

長くなりました、まぁ、読んで何を思うかは個人の自由ということで、
ウグイとキガタとハギリ先生が恋愛関係になるのか、誰と誰がくっつくのかとか、そんな方向で楽しまれる方もいらっしゃるでしょうし、シキとミチル、ウォーカロンと科学の発展を楽しみに読まれるのもありでしょうし、いろんな方向から楽しめるお得な1冊^^

先ごろ、このシリーズを読んでいないことに気付いて大人買い(ヤッター!)
で、読み始めて 既にヴォイド・シェイパとブラッド・スクーパは読んでいたことに気づく(orz)
また、忘れてたのか。。。自分。

ちょっと記憶力の低下を意識し始めてローズマリーやらイチョウ葉エキス入りのガムやらカカオパウダーやらの積極的な摂取を考え始めたところだけど、はぁ、やっぱり記憶力低下してる。。。

でも20代前後で『羊たちの沈黙』の文庫版を気づかずに3回買ってたことを思えば
なんのこれしきの健忘は昔からか。

追憶は彼方に押しやるとして、
感想というほどではありませんが、これも忘れないように備忘録として読中読後の主観をメモ致します。

徹底して主体のみで語られた技法から不自由さを感じるほどにも徹底されて、またその不自由さが主体であるゼンの不自由なまでの真っ直ぐな人格と思想を表現するのに効果的に用いられていて、作者が森さんなだけに、「ここも計算のうちなんだろうなぁ」ってため息。
偶然、とか結果的にってことはないでしょうね。
そして今回というか本作では”肉体の消失”と”知識の継承”が変わった角度から描き出されています。
物理的な消失に替えて、”無”という禅の思想と通常のインテリジェンスの代わりに”技”という体得技術の継承に焦点が。
一般的な知識の場合は、現代では書き残すことが出来る、記録を残すことである程度後世へ継承が可能になった。
もちろん、その知識をもった人間が何百年も生きて研究や思考を続けることにくらべたら、失うものも多く、誤解や消失の危険性もつねにつきまとうけれども、それでも体得した技の継承に比べれば、受け継がれて後世の礎になっていくであろうことは確率的にずっと高い。
では体得した技術・技の継承はというと、やはり次の世代に同じだけの技術を体得させ、さらなる継承と発展を願うという甚だ心もとない伝承方法に頼るしかない。その技術が高度になればなっただけ、習得には時間もかかるし、誰でも習得できるというわけではなくなってくる。
言語・文化といったものでさえ、既に消失してしまったものがたくさんあるわけです。
では、なくなってしまった、継承されなくなってしまった技術はもっとたくさんあるのでしょう。
かつて人が自分で出来ていたことの多くが、すでに失われていると思います。

私はフィルムで撮る写真が好きなので
この技術がいつまでも残っていくといいな、と思います。
便利さに押されて、手軽さに取って代わられて。
進歩がいけないのではなく、進歩した先には、豊かな選択肢が残されているべきです。
ここはデジタル撮影の方が向いてる、こっちはフィルムのほうがいいかも。そんな自由な選択が出来るようになっていったら良いのに。
採算が取れないからと、フジカラーではモノクロのフィルムAcros100の生産中止を決めたようですね。
残念なことです。
採算が取れなかったら、社名の元になっているカラーフィルムも製造中止にするのでしょうか?

ああ。脱線しました。
いろいろな、継承されなくなってしまった技術に思いを馳せて、読後感とさせていただきます。
おそまつでございました。

歳のせいか(←とりあえず、なんでもこれで言い訳する)
最近は文章を書き始めても途中で道筋を見失ってしまうことが多いですねー(涙

さて、お休みだと言うのに京極さんを読み終わってしまったので、次に予定している『魔法の色を知っているか?』森 博嗣が届くまでの間、


スカイクロラの英語版をkindleで。
他者による翻訳ではなく森さんが書いた英語版スカイクロラ、と思って間違いないんですよね?
日本語版は読んだので、英語でどう表現されているのか、興味津々です。

スカイクロラシリーズ、
戦争とか平和とか、生とか死とか、
そんな読み方もあるのでしょう。

私は、このシリーズも、森作品すべての根底は 『肉体の消滅と知識の継承』だと思ってます。
そしてスカイクロラのシリーズ以降、そのテーマが顕著にわかりやすい形で提示されてる。

Fの時から既にそのテーマは盛り込まれていて、四季でかなり分かりやすい形で継承というかずっと繋がってますが…


毎回シリーズが変ってもそこに集約されていっているのではないでしょうか。
忙しさにかまけてウォーカロンのシリーズを落としていたので、catch upしてきます。

しかし、いつの間にか文庫本も高くなりましたねぇ。。。
500-600円の頃はもう少し気軽に手が出せたんだけど(貧)

ふぅ。。。ようやく読了です。
決して読むのが大変だったとか面白くなかったのではなく、単にごっつぅ忙しかっただけでゴザイマス。
14h/dayで13日連続だったからねぇ。。。

ストーリーとしては新撰組の土方歳三をもとにしたフィクションなのは、どこからどう見てもおわかり頂けると思いますが、
私はそっちに特に詳しいわけではないので、史実がどんなかは良く分かってない、なんとなくのイメージと何となく幕末あたりかって時代感と、なんとなく新撰組って腐女子に人気のカテゴリじゃないかとか、そんないい加減な印象しかなかった、ズブの素人です。

今回の京極作品はまたブ厚くて嬉しいな♪と思いつつ、でもやっぱり重たくて長時間読むのは大変。そこがまた良いんですケド。
モチーフのせいか、読みながらついつい 『新撰組の二次創作っぽい。。。』なんて思ったり。
人気漫画とかのキャラ使って自分なりのオリジナルストーリー書いちゃうアレです。キャライメージが定着しているから、原作のファンにとっては馴染みやすく、かつストーリーは新しいから、原作の世界にもっとどっぷり浸りたいファンには必要不可欠の二次創作。
そういえば私もネットの世界に入り込んで最初に訪れたのは 京極ファンサイトで二次創作ストーリーを書かれていたミカさんのところでしたっけ。右も左も分らないネットの掲示板で、皆さん親切にいろいろ教えてくださって、今でも感謝感謝です。

すっかり脱線しましたが、
ストーリーはともかく。それは実際に読んでお楽しみ下さい。あらすじだのネタバレだのストーリーがどうのって書評読んでるより、実物の重さを楽しみながら読まれて下さい。読書って体感・質感も大事ヨー。電子書籍は便利だけど、新品の本のページをそっとめくる、汚さないように傷ませないように読み進むっていうのもまた良いものです。



んなわけで、ストーリーはともかく。
今回も京極先生のお好きな、容れ物とくくりとレッテルや名前の理論が根底にがっつり流れていましたね。
容れ物の中。そこに収まりきらない何か。
レッテルや名前というもので呪をかけられもがき、または名前や肩書と云ったレッテルを貼られたことで安心し。
そこから外れたものは、
そこに入れなかったものは、
容れ物に入っていない外側は何だ、入れなかったものは何になるんだ、
既存の概念でくくれないものはどうしたら良い…?

いつもだったら、それは妖怪であり、呪や憑き物であり。

既存の概念の枠からはみだしたものが妖怪で、縛られ、安心し、惑わされるものが呪であり、御しきれない感情が憑き物であり。

いつもの怒涛の憑物落としの代わりに、今回はまさに怒涛のごとく駆け抜けたラスト。
最後はハリウッド映画のようでしたね。。。

まぁ、実際に読んでお楽しみ下さい^^ 筋トレにも使えますからw

虚実妖怪百物語 急 京極夏彦

ようやく3巻目を入手して読了です。
最初の1巻目はまぁまぁな印象でとりあえず読むかぁ…ってスタートでしたが、2巻目、3巻目と徐々に加速がついて最後は読み終わらないと動けない状態に。
それでもかつての京極パワーに比べたら、やはりだいぶマイルドになっていると思いますが
期待は裏切られなかった、満足です♪



そもそもこのタイトルの場合、最初からイメージがある程度浮かんでいるので、”期待通り”の右斜上をいったような感じですね。

3冊目 『急』は想像力と記憶力をフル稼働して スペクタクルです。
圧巻です。
年代の違う方が読んだらどうなんだろう?
私の年代だとほぼドンピシャなので、一般常識として(ヲタクは自分ではオタクではないと言うそうですヨ)およそ80%くらいは網羅出来たんですが。
えーっと、こう言っちゃうと前の行の括弧書きと矛盾しちゃうから言いたくないけど、
オタクじゃない人が読んだらどれくらい分るのかな?って疑問です。
かなり広範囲に亘って羅列されていたと思うので。
ちょっとこの疑問は昔懐かしいネットの掲示板とかさらに時代遡ってニフティサーブの時は会議室でした、そんなフォーラムで訊いてみたいですね
みなさん、どれくらい分かったのか^^
年代別とかで面白い統計とれそう。

なるべくネタバレないように書いてます。

最後の最後は
『嗚呼!』って、お得意の憑物落としなかんじで、そうだったのかー トリビュートだったですね
生半可だから読み終わるまで気づかなんだけど、嗚呼!でした。

妖怪好きの人にはオススメです。

 

そして久々に新刊を新品で本屋さんで平置きから買ってきました。
ちょっと読むのに腕力が要る京極夏彦 『ヒトごろし』。

読了したらまた。


The arts and crafts power of designer William Morris.

TASCHENが今月、12月4日に発売していたようです。
これは、欲しい。
とりあえず既に慢性化した重度の金欠病により、Amazonの欲しいものリストに入れて指をくわえて見ているわけですが。Book Depositoryとかも見たけど値段変わらないしー

TASCHENのwebsiteでもUS14.99- ってことはほぼ変わらないですね
発売したばかりだし^^; 仕方ないか。

TASCHENのアートブックはアジェとかブロスフェルトとかの写真集をいくつか持ってますが、どれも値段に比べて内容も装填もとてもしっかりしていて、とにかくコスパが良い。



写真集、図鑑サイズでハードカバー、ページも200ページ超くらいで新品の値段がびっくりするくらい安いです。どれもこのMorrisと同じくらいだった記憶があります。

千何百円で分厚い写真集が買えるなんて夢のよう(うっとり

ってわけで、中身見なくてもこのMorrisは絶対買いです!

なんだか最近よく目にするような気がして(どこで目にしたのか記憶に残ってないんですけど)、気になっていたので読んでみました、とりあえず短編集の『A』中村文則。

全く初めての作家さんの場合、とりあえず短編集の方がとっつきやすいかと思って^^

ココ最近あまり読書にさく時間が取れないこともあり、長編で時間をかけて読み進んでから失敗だったーってことは避けたかったので、短編だったら1話読んでダメそうだったらやめれば良いし。実際は作者さんによっては短編と長編では全然感じが違ったりするので、短編読んでOKと思っても長編はイマイチだったとか、その逆もあるであろうことは承知ですが。



かの村上春樹なんかも長短の差か、それとも執筆年代の差か…

昔の短編は良い感じだったのに長い作品だと尻切れトンボ的な印象がぬぐいきれません(こんなこと書くと信者の方に刺されますか?^^;)最近の短編があるのかは知らないのですが、地下鉄サリン事件の被害者に取材してまとめたアンダーグラウンドでしたっけ、あれも淡々とまとめられていてなるべく作家の意見を介入しないでレポートしようという意図はわかりましたが、読者としてそれだけでは物足りない。大江健三郎のヒロシマ・ノートみたいなものを期待していたんですが。

記録としては秀逸で、おそらく作家 村上春樹の名前がなかったらこれだけの数の証言を得られなかっただろうと思うので、価値ある作品だと思います。
ただ、この作品の残念なところは、そこに作家の意見なりテーマなりが感じられない。良くも悪くも記録に終止してしまっているような印象を受けました。

ヒロシマ・ノート、読んだのはかなり昔ですが、細かなところは忘れても、読んだあとに考えさせられるものでした。私に何が出来るのか、何も出来ないのか、いや、日本は、社会は今こんなで良いのか?たくさんの答えの出せない複雑な問いを投げかけられた作品でした。時代の中で風化させずに読み継がれて伝えていって欲しい、ともかく、やはり忘れてはいけないことだと思った記憶があります。
ほかのフィクションの大江作品は実はあまり好きではないですけど(-。-) ボソッ

 

あ、違った感想になってる^^;

で、本作『A』の短編の1つで、ダリと川端康成、安部公房が言及されているわけなんですが、確かに似た感じのにおいはしますが、当然これは中村作品であって川端・安部とはやはり一線を画しているわけです。あくまでもストーリーの一部として言及されてますが、私としては言わないで欲しかったなぁ・・・。

全然感想にはなりませんが、こういう感じの作品なのね、って知ることが出来たのでOKです。

もしかしたらまた他の作品を読むことがあるかも知れません。
読むとしたら次は長編を読むつもりですが、積極的に買いに走って読む予定ではないです。
そんな感じの位置づけで—–。安部公房の時はもっと他の作品も読みたいとあれこれ買いまわってしばらくは安部公房づくしでしたけど。

さて、本文中に感想が書けない人たちなんて内容が含まれていると、ちょっと書きにくいんですが、感想。

by カエレバ

とりあえず、本屋で衝動買いレベルに気軽に手にして買っちゃってきましたが、前回はつぼねのカトリーヌを読んでいて、適当に買ってるので順番とか毎年出てるとか全然気にせずたまたま目についた本書を買ってきましたが、タイトルだけ見てるとシリーズ全部読みたくなりますね。
ご本人が書かれているように訳わからん方が興味をそそるんですよね、
決して追従してお太鼓持ちで書いてるわけじゃーありませんが、それは常々私が提唱してきたことであります。
サモトラケのニケ、腕の折れたビーナス像しかり。
不完全な方が美しいんです、見えない部分、失われた部分があるからより印象的で美しく見える。
欠けた部分を想像で補おうとするから、忘れられなくなる。




ホームページを作る時には見せすぎないように気をつけて作ってきましたが…まぁクライアントが理解してくれれば、ですね。全部みせちゃったら興味半減しますから、イメージ的な分かりにくいような写真、でもなんだろう、これ?きれいだけど…って思わせるようなものを載せて興味を引きましょう、興味もってくれたらあとは文章なり説明なり自分から読みますから。って言ってもだいたい分かってもらえないですけどねー
だから、分かりやすく、見やすくってつまらないでしょ、って話で。
そもそも分かりやすくのレベルが、誰に合わせた分かりやすさなのって事にもなってくるじゃないですか。
『わからないから見てみよう』ってところに持っていかないと…
と、今ここで言っても仕方ないですけどね。

その他にも固有名詞しかり
いや、そう、それ京極センセも書いてたでしょう、箱にはラベルが必要で、ラベルさえ貼ってあれば中身が本当にその通りかどうかは往々にしてそんなに問題じゃあないって。ラベルがないと安心できないのが多数決ですから、みんな同じようにラベルがついてると安心するんですね

スペインの昔の哲学者?社会学者?なんだっけ、
『大衆の反逆』の中でオルテガも書いてましたよね、確か。

by カエレバ

ともかく、町内会だの親睦会だのといった集まりに出たり強制的に仲間行動させられる苦痛をこうして公共に広めてくれている森せんせいには感謝です。
それ!本当に嫌がってる人がいるんだからって声を大にして言いたいっ!
多数決の人たちが事あるごとに行事だの集会だの反省会に激励会に打ち上げにと計画されるたびに憂鬱にさせられてるんですよ。
それだけで引っ越してどこかへ行きたいと思い詰めてるんですよ
なのにそんなに迷惑かけてるって事には気づかないんですよね、奴ら。

ちなみに最近まで、生まれてこの方およそ40年以上、
本当は皆、そういう集まりや飲み会は嫌いだけど我慢して参加しているんだって信じていたのは私です。
皆も我慢してるんだから、一人だけ嫌だとも言えないだろうって、しぶしぶ受け入れてたんですけど、数年前に知りました、実際はほとんどの人は喜んで参加しているんですね?飲み会楽しいの?嬉しいのね?そうなの?
ほんとうにほんとうに知りませんでした…、でも知ってからちょっと断りやすくなったけど。それが楽しいと思う人だけ行けばいいじゃないv
他人に嫌なことを押し付けちゃいけないって思ってたけど、なんだ、みんな本当は嫌じゃなかったんだねw

そして、群れることは嫌いだけど、
同じように考える人がいると言う事を知って嬉しい。うちの次男も同じ感想でしたよ
「オレだけが変なのかと思ってたけど、森博嗣がこう書いてると安心するね」と。

そうなんです。そんな感想です。